2008年02月25日
アッバース朝の発展と衰退
このような伝承があること初めて知りました。
本当に興味深い言い伝えばかりです。
サッファーフの短い治世ののち第2代カリフとなった異母兄マンスールは、先代の都であるハーシミーヤがシーア派の尊崇する第4代正統カリフ、アリーの故都であるクーファに近いことからシーア派の影響力が高まることをおそれ、チグリス河畔のバグダードと呼ばれる集落の場所に、762年から新都マディーナ・アッ=サラーム(「平安の都」)を造営した。マンスールはアブー・ムスリムを含む有力者を排斥してカリフ権を強化し、旧アブー・ムスリム子飼いのホラーサーン軍と、ペルシア人を多く含む文官たちをバグダードに集めて中央集権的な国家を建設する一方、シーア派を圧迫してスンナ派のカリフとしてのアッバース朝の性格を明らかにし、王朝の実質的な創設者となった。
権力の向上とともに、アッバース朝のカリフは、それまでのカリフの主要な称号であった「神の使徒の代理人(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)」「信徒たちの長(アミール・アル=ムウミニーン)」に加えて、「イマーム」「神の代理人(ハリーファ・アッラーフ)」といった称号を採用し、単なるイスラム共同体(ウンマ)の政治的指導者というだけに留まらない、神権的な指導者としての権威を確立していった。しかしこの絶対化の一方で、カリフの神権性はあくまでウラマーの同意に基づいており、カリフに無謬の解釈能力やシャリーア(イスラム法)の制定権が認められることはなかった点で、スンナ派の指導者としてのカリフの特性があらわれている。
アッバース朝は第5代カリフのハールーン・アッ=ラシードの時代に最盛期を迎え、ペルシア湾ルートを交易路(シルクロード)とする国際貿易の結節点でもある首都バグダードが繁栄をきわめた。しかし、ハールーンの死後に後継者争いが起こって混乱のきざしがあらわれるとともに、内紛により疲弊したホラーサーン軍に代わって、テュルク系の遊牧民出身の解放奴隷からなるマムルーク騎兵たちが軍事力として採用されるようになって、アッバース朝の繁栄を支えた基盤に揺らぎが見え始めた。
それでも9世紀のアッバース朝は、肥沃な農業生産力と好調な東西交易の中継地点であるイラクに支えられ、繁栄を謳歌することができた。しかし、やがて勢力をもったマムルークは権力を増大させてカリフの改廃にすら関与するようになり、地方では総督たちが中央政府への送金を怠って地方に勢力を築き始めた。さらに総督の中から、ターヒル朝(821年建国)、サッファール朝(867年建国)、トゥールーン朝(868年建国)、サーマーン朝(875年建国)と、アッバース朝の名目的支配のみを認めて実質上の王朝を創始する者が次々にあらわれ、アッバース朝は急速に全帝国の支配力を失っていった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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